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オオニシ恭子の薬膳日記

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薬膳日々

今日は気仙沼に移りました。海側の道は交通遮断されていて山をこえました。山道の途中、木作りのシックでいいかんじの温泉宿があった。山を下って見ると再び海に近くなり凄まじい光景がはじまる。
鉄橋が落ちている、家がかたむいている、車がビルデイングの上にのっている。ひとつの町がそっくり消えている。鉄道が錆びて雑草が高々とかぶさっている。人々は何処へ行ったのだろう。
家を失い、途方にくれているにちがいない、そういう方々に、食も大事だけれど、食はこうあらねばなりませんということよりも、疲れたおばあちゃんやおじいさんに足湯をしてあげたり、生姜シップをしてあげるべきだったとおもう。昨日はなるべく面倒なはなしより、実際をやってみせ、試食をしてもらったが、それ以上に足湯の用意をしてくればよかったと思った。[元気を出してがんばってください」という事すら躊躇してしまうほど何も言葉がない。福島では、兎に角、放射能から身を守る事が大事であって、
みんなその心配をしている。それに対する怒りは東電や政府の対応、そして何よりも東京に電気を送るためにも犠牲になったことであり、福島というだけでガソリンを入れてもらえない、他県から疎ましく思われ、特別扱いされることであって人間不信だ、しかし、石巻や気仙沼は放射能のことより、怒る事もできないような自然災害があいてですっかり奪われ、その怒りの相手がいない、ただただ、呆然としてしまうようなやり場のない悲しみ、喪失感にちがいない。

『ピースジャム」という子供とお母さんを援助したいというプロジェクトを始めたS氏をたずねる。震災直後、子供のミルクの買い占めがあって彼は自分の乳飲み子のミルクを求めて、パニックにちかい気持ちをあじわい、わずかのガソリンを頼みに他の町にミルクを求め、他のミルクにこまっているひとに分けることをはじめたことから自然に子供と母親を守る活動がはじまった。「ピースジャム」はこまっているひとに手を差し伸べる事、ささやかなことからできることをやろうとすることであった。しかし、M氏が私の野菜ジャムをつくることで子供を抱えるお母さん達の収入に繋がる事にならないかとかんがえた。私は[ピースジャム」という名のジャムとしてお母さん達の起業につながるならとても意味あるし、「ピースジャム」という名が気にいった。
二人の若いお母さんがジャムづくりにきた。お二人とも家も仕事場もすっかり流されて、何一つなくなって、仮設住宅にいるという。子づれのお母さんは「家がほしい、庭がほしい、ほら、あの、畑や花を作っていたおばあさんがいたじゃない、あんな生活してみたい、すごくしてみたい」といった。
わたしが「ターシャ?」というと「そうそう、そうです」という。「ジャムを作ってみんなでそういう場所つくりまそうよ」といったら、「うれしい、元気がでます。それを目標にすればいきていける」とうれしそうでした。
360個の瓶に匹敵するジャムを短時間に作らねばならない、
二人のお母さん、そして小学校高学年のお嬢ちゃんが手つだって私と4人で玉ねぎ,人参、リンゴなどを切ったり煮たりの作業をせまい場所ではじめた。Mさんが段ボールで調理台を3つ作ってくれた。何もないところで、はじめる事は素敵なことだ。段ボールの調理台ではじめたジャムづくりはきっとうまく行く。とてもよいスタートだと思った。あるものでのジャム製造は段々効率よく回転し出し、そのうち頼もしい男性の援軍、藤井さん、S氏、ピースジャムのS氏、T氏、M氏も手伝いはじめ、フル回転で瓶の煮沸、湯煎もすまし箱詰めが終わったのが9時近くで、その時は二人のお母さんがもう帰っていた。
みんながこのピースジャムを売ろうとしている。今日のこのチームワークの素晴らしさに感謝します。
気仙沼であった人たちはなぜか前向きで明るく、素敵な時間を過ごした。  
2011年10月10日
by kyoko-yakuzen | 2011-10-10 00:42