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オオニシ恭子の薬膳日記

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薬膳日々

成田に一日泊められたが一日遅れてエアーフランスでベルギーにもどりました。

46年間連れ添った夫が8月30日に他界し2日の夜東京に舞い戻って10日間喪に服してお別れしてきました。彼とは良い時間を過ごしたと思い出されます。いわゆる昭和のデカダンスの影響があったとおもいますが,日本の現代美術のはしりの時代を連日,アルコールによる解放を得て,激論を飛ばしながら自分を切磋琢磨して時代を生きて来た。そして彼の精力的な制作をそばで見ながら、出来上がりを楽しみにしていつも彼の制作の様子を見て来たそんな自分がとてもなつかしい。芸術制作は,知的作業と動的作業の両方が噛み合ないといけない。構造主義だポストモダンだと議論したりして内部空間の葛藤を生きてきた。私は彼が空気をテーマに4人のメンヴァーで音響イベントしたときはとても興奮しました。
代々木の岸体育館で芸術活動はできないので私が父に頼み、かれが「頭の体育」という名目で申請し、許可がなんとか下りて、凄い音響コンサートをしたのだった。彼のやる事は当時かなりすすんでいて、評論家もついて来れないところがあったので海外にでて見ようかと言い出したのはわたしだった。
ベルギーに行く結果になったが,その頃から,彼は自分の世界を非常に確信し始めいわゆる、禅の世界と評価されはしたが、三原色で黒で全ての物証を塗りこめた。「色即是空」がよりぴったりしていたかもしれない。
ベルギーに渡ってから欧州の各国の作品をみて、その国その国の形而上学とメタファーがあって現代の作品になっているという事を確認し,自分たちのアイデンティテーに直面させられた。

彼は約30年間三原色,黄色,赤,青を塗り重ねて黒にする画面にこだわり続け,最後までやめなかった。それは今にしてみれば、この時代を予見していたようでもあるが、自分の追求した到達した所であったので時代を超えているのかもしれない。
美術学校の生徒だったころから現代までのアルバムを見て、一緒に生きていた彼を思うと、何がなんであるか分かっている大人だったという感じがいちばんつよい。
時代の右往左往に動じる事なく、ひたすら確実に存在し,しかし見えない物を追っていたとおもう。それは人に聞ける物ではない。私はよく「ねー,どうおもう」と彼の反応や答えをひきだそうとしたが、「自分で考えろ」と叱られた。
1935年,昭和10年11月3日生まれの彼と結婚した1966年以後は無限のかなたにとんでいけそうなヘリウムガスを閉じ込めたり、鋳物にした制作をしたあとで、30年間描き続けた三原色の作品はまさしく彼の生きた時代そのものの本質ではないだろうかと思っている。

彼は作品タイトルをいつも無題といっていたが、後年“Who is he?" とタイトルをつける事が多くなった。なぜ?ときくわたしに、「たそがれ」という言葉は[そこにいるのはたれそ」という、黄昏時、人物確定が出来ない所からきたのだといった。
2012年9月12日
by kyoko-yakuzen | 2012-09-12 14:28