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オオニシ恭子の薬膳日記

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薬膳日々

救急病棟から6階に移った夫は目をほとんどあけない。あけて、と言えば開くが自然ではない。
そんな夫をみていると、以前のひととはちがう。若いときは無口で口をあければ芸術のはなしばかり、
話す相手は芸術家の友人ばかり、その人たちは夭折したひともふくめて、日本に導入された西洋的芸術論の日本的根つけの議論ばかり。主人の周囲の人は当時の前衛芸術家といわれる若い人々で私はその議論のなかでそだったかもしれない。今ならグループサウンドなど歌手が時代のメッセ−ジを持ってきたように感じてみんな夢中になるが、私は当時のわかい芸術家がたのもしく、主人といることでそういう人たちの話がきけるのがものすごく大きなことだった。
寡黙だったが、アルコールが入って饒舌になり、美術館、万国博など勢力的に活動し、ベルギーに移ってからは、現地の美術教授に愛され、教科書にもなったらしい。しかし、黒の作品。資格には三原色しか使わないでくると言うん結果に物事を包んでからは寡黙、生活も質素、人生の欲も全く示さないで、
美術家としてのチャンスにも決して動じなかった。そんな夫が妻として、ふがいないと思えるようになってしまった。
しかし、私が何をいっても自分のスタイルをかえようとしないのはある信念があったのだとおもうので
りっぱだと思わざるを得ない。

オリンピックをみていると、アスリートたちは並の努力なんていうものじゃない日々だったようだ。
いろいろな人に支えられてそうなるのだろうが、五輪の金メダルに目標をおいて泣いたり、幸福感によいしれている。
金メダルをとった、「なし得た人」は人生に一つのパスを得たようであるが、それもまた、運や事情で一過性のものにならないとはいえない。そして普通の生活をえるのだろうか。人にはそれぞれ人の世で役目をもってやっている。五輪のアスリートは世界の人が
よろこぶようなものを提供し、学者は研究し、料理家はおいしい方法を教え、芸術家は人間の感性を
形にし、結局生きている時代を表現している、
主人の作品は、全く今の時代をよくあらわしていて、それはもう四分の1世紀近く同じものを描いている。わたしが、もっと希望的になれないのかというと、自分の生きている時間くらいで長いと言うな、と言った。

人のためになることがお金になったり、賞賛されるのが常だけれど、人にすぐ役だたないとか、今すぐ
理解されない、またはすぐ結果につながらない人は生きている間不運だといえる。
8月1にち
by kyoko-yakuzen | 2012-08-01 15:36